【報道】大震災で発揮された高速バスの底力

大震災で発揮された高速バスの底力、超法規措置で大量運行を実現(1) – 11/04/22 | 12:13

 3月16日、関東の主だったバス会社の社長や幹部を集めた会議で、国土交通省の担当者は異例の要請を行った。「新幹線の代替手段としてバスをとにかく大量に走らせてほしい」「“乗れなかった”という事態はないようにしてほしい」──。

 11日の未曾有の大震災の影響を受けたのはバスも同じだった。特に三陸海岸沿いの路線を持つバス会社は、十数台規模で車両を失ったところも少なくない。東北地方と首都圏をつなぐ高速バスも、東北自動車道の閉鎖に伴い運休を余儀なくされていた。しかし最大の交通手段である新幹線が寸断された今、代わりはバスしかない。

 国交省は被災直後に東北道の全線を点検し、致命的な損傷を受けている箇所がないと確認した。そこで14日には関東一円のバス事業者に、高速バスを警察や自衛隊と同じ緊急車両に指定するという荒技を通達。また従来は免許を持つ業者にだけ認めていた運行も、特例として通行許可証を取得すれば運行を認める超法規措置を実施。16日、あらためてバス事業者に「バスを大量に走らせてほしい」と、要請を行った。

20日かからず震災前の2倍までバスを増便

 こうした措置を受け、最初に動いたのはJRバス東北だ。16日の早朝に仙台市から新宿駅に向けて3台のバスを発車。最初の主な利用者は出張に来て震災で足止めを食らった人や東北を脱する人が大半だった。

 首都圏では翌17日の7時前、群馬県に地盤を置く日本中央バスが3台のバスを仙台に向け出発。国際興業も深夜11時過ぎに盛岡に向けて1台のバスを走らせた。

 3社の運行再開を皮切りに、各社も後に続いた。1回当たりのバスの台数を大幅に増やし、震災前、首都圏と東北方面を結ぶバスは1日30路線、66台で1980人を運んでいたのが、21日の段階では1日23路線と7割程度にとどまったものの、バス93台で、3470人を輸送できるまでに急拡大した。

大震災で発揮された高速バスの底力、超法規措置で大量運行を実現(2) – 11/04/22 | 12:13

 国際興業では震災でキャンセルが相次いだ観光バスを盛岡向けに大量投入。輸送力は従来3台で90人程度だったが、最大で15台、500人程度まで拡大した。こうした施策もあり、30日には運行回数は震災前と同水準に達し、使用台数、輸送力ともに200%以上となった。
 
 道路状況の確認が取れ、運行が再開されると、次に直面したのは燃料不足だった。車重20トンを超えるバスの燃費は、高速道路など最も状態のよい走行でも1リットルで3キロメートル程度。450リットルの燃料タンクでは仙台までの往復800キロメートルの距離をぎりぎりこなす程度の余裕しかない。

 緊急車両として優先的に給油できるはずの高速道路のサービスエリアでも「緊急車両だけで30分待ち。とてもじゃないけどお客を乗せたまま待つことはできない」(バス事業関係者)と、途中での給油をあきらめざるをえず、苦しい運行を強いられた。

 日本中央バスはおひざ元の前橋でガソリンスタンドの軽油が枯渇。「被災地が優先だから躊躇はなかった」(中村稔・専務取締役)と、自社の路線バスや大阪、京都行きの高速バスを減便して、仙台へのバスを走らせ続けた。国際興業やJR東北バスも燃料集めに奔走、何とか当日分を確保する綱渡りが続いた。

 被災後1週間余りでようやく燃料事情が落ち着くと、今度は現地に地盤を持たないため、運行できなかったツアーバスも運行を再開。再び競争が激化し始めている。

 こうした迅速な復旧と増強について、関係者は「道路と燃料があればバスは走れる。機動性が大いに発揮できた」と口をそろえる。震災を機に災害に強い交通機関としてバスのあり方が見直される可能性も高い。

(週刊東洋経済2001年4月16日号より)
記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

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