蒲鉄旧車両撤去 所有者死去で遺族が判断

解体始まってから、ネットとかに情報が出たようです。
こういうのも、那珂川清流鉄道保存会とか、最近は保存車両の仲介をしているジェイアール貨物・北陸ロジスティックスに引き取って欲しかったですね。

那珂川清流鉄道保存会について、一番危惧しているのが、こういう感じで処分されてしまうことなので、那珂川清流鉄道保存会の車両が、こうならないように願います。

「県道脇の蒲鉄旧車両撤去へ
所有者死去で遺族決断、惜しむ声も」

 1999年の蒲原鉄道(五泉―村松)廃線後、五泉市本田屋の県道わきに保存されていた車両2両が、撤去されることになった。車両を所有する市内のかっぽうの会長が亡くなったため、遺族が撤去を決めた。既に解体工事が進んでおり、さら地になる予定だ。山吹色と焦げ茶色のツートンカラーで沿線住民に親しまれた「カンテツ」を見られる場所だっただけに、鉄道ファンからは惜しむ声が出ている。

 車両は、村松乙のかっぽう「松の家」会長の故周佐義雄さんが「このままスクラップになるのは寂しい」と、廃線後、蒲原鉄道から車両を譲り受け、自社の所有地に移し、保存していた。自腹を切って屋根の改装などもしてきた。

 車両は村松城跡公園などにも保存されているが、通行量の多い道路わきにあった2両は、住民から注目される存在だった。

 時折、首都圏からも写真を撮りに来るファンが訪れたほか、昨年はテレビ局が撮影に訪れたという。

 昨年11月、93歳で亡くなったが、生前、家族に「おれの目の黒いうちは車両を保存してほしい。後はできる範囲で構わない」と伝えていたという。

 遺族は知り合いを通じ、車両の引き取り手を探したが適当な譲渡先は見つからなかった。維持管理費もかかるため撤去を決めた。

 義雄さんの長男の嫁で、かっぽう常務の周佐幸子さん(57)は「古くなり、もし屋根が飛ばされ見学者がけがをしたらという不安もあった。泣く泣くの決断でした」と語る。

 解体の件は鉄道ファンの間に口コミで広がっている。仲間5人で現地を訪れた新潟大鉄道研究部の今井翼さん(21)らは、車両のプレートや運転席の部品などを解体業者から買い取った。「突然のことで残念だが、維持は難しいと思うので仕方がない」と名残惜しそうに話していた。

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20130628051421.html

2 Replies to “蒲鉄旧車両撤去 所有者死去で遺族が判断”

  1. > うすいさん
    これから、こういった事例が増えそうな気がします。
    地方鉄道の車両だと、個人所有とかも多いですから。

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