ありがとう 宇都宮駅 駅弁売り子の「秀ちゃん」逝く

ご冥福をお祈りします。

『駅弁半世紀 ありがとう 宇都宮駅 売り子の「秀ちゃん」逝く』
東京新聞サイトより
2014年1月11日 夕刊

「駅弁売りの秀ちゃん」が逝った。
駅弁発祥の地の一つとされるJR宇都宮駅のホームで、抜群の売り上げを誇った坂本秀浩(ひでひろ)さんが今月7日、病気で亡くなった。74歳。時代の流れで「立ち売り」の駅弁が先細りになる中、最後まで駅弁売りに愛情を注ぎ続けた。11日に通夜、12日に告別式があり、親交のあった同僚らが別れを告げる。 (後藤慎一)

 坂本さんは十八歳の時、宇都宮駅前にある老舗の駅弁製造販売店「松廼家(まつのや)」に入社。半世紀近くにわたって、宇都宮駅の在来線ホームで駅弁を売り続けた。

 最盛期はおよそ二十人の「売り子さん」がいたが、坂本さんは一日最高百個を売り上げたこともある実力ナンバーワン。当時は歩合制で、駅弁を売って稼いだ収入で自宅を建てたことに胸を張っていたという。

 売り上げの秘密は観察力。「お客さんの目線を追うと、弁当を買うか買わないか分かる」とよく話していた。
 季節や気温から予測し、店に「三十、三十、四十で」と注文。幕の内三十個、とりめし三十個、山菜弁当四十個という意味だ。店の製造個数も「秀ちゃんの勘」に頼ったという。
 時刻表はすべて頭に入っており、乗り換え客への案内もうまかった。売れなかった日は「今日は案内で終わっちゃったよ」と嘆いたが、嫌な顔一つしなかったという。

 飛ぶように売れた時代は、ホームの公衆電話から店に追加を注文。走っても一、二分だが、時間が惜しかった。製造が追いつかないと「作らないと売れないんだ!」と怒鳴った。「頑固だけど、そこがいいところでした。本当に助けられた」と斎藤社長(58)は惜しむ。

 在来線の車内で駅弁を食べる人が少なくなり、売り子さんが姿を消していく中、頑張り続けた坂本さん。五キロのケースを長年抱える生活で体はガタガタになり、還暦を越えて数年後に立ち売りをやめたが、その後もイベントで法被を着て駅弁売りの手伝いをした。
 最近は病気で外出を控えがちで、客から「姿を見かけない」と心配する声が店に届いていたという。昨年末、ぶらりと店を訪れたのが職場へのお別れになった。

 JR東日本によると、首都圏のJRの駅で現在、駅弁の立ち売りはほとんどいなくなったという。

3 Replies to “ありがとう 宇都宮駅 駅弁売り子の「秀ちゃん」逝く”

  1. あれ、このエントリィ、見落としていたかしら?

    素敵なお話を、ありがとうございます。
    「秀ちゃん」のご冥福をお祈り申し上げます。(-人-)

  2. 心よりご冥福をお祈りいたします。

    昨年、ペデストリアンデッキで行われた『とちぎ県民協働フェスタ2013』で、駅弁の売り子姿のボランティアさんが立ち売りしていましたよ。

    受け継いでいってもらえると良いですねぇ。

  3. > ガリレオくんさん
    > sirokumaさん

    コメントありがとうございます。
    大学通学のときに宇都宮駅でよく見かけていた方だと思うので、その光景を思い出してました。

    その思いとかを追加しようかなと思っていたので、日付より後の公開となっていました。

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