つなぐ・とちぎ平成史 /5 

つなぐ・とちぎ平成史
/5 プロ自転車「宇都宮ブリッツェン」 地域に密着、選手育成 「栃木で成長」海外に挑む /栃木
毎日新聞2018年1月7日 地方版

 「道のないところに道をつくる作業だった」。平成20年(2008年)10月、自転車ロードレースで国内初の地域密着型プロチームとして誕生した宇都宮ブリッツェン。先頭に立ってチーム設立に尽力したゼネラルマネジャーの広瀬佳正さん(40)=宇都宮市出身=は、懐かしそうに振り返った。

 当時、自転車競技のチーム運営は企業主体だった。一方、他競技では、平成5年(1993年)の発足当初から地域密着型の運営を掲げるサッカー・Jリーグに加え、プロ野球でも日本ハムが本拠地を北海道に移転して成功するなど、「地域密着型プロ」を目指す傾向が強まっていた。広瀬さんも「地域と連携したプロチームが必要だ」と感じた。古里で優秀な選手を育て、自転車競技の普及に貢献したいと考えたからだ。

 宇都宮市では、平成4(1992年)年からアジア最高峰の自転車ロードレース「ジャパンカップ」が始まり、自転車は市民に身近な存在になってきた。実際、スポンサー獲得のために企業などを回ると、趣味で自転車が好きな人から協力を得た。

 広瀬さんは平成24年(2012年)まで競技を続け、その後はチームを支える側に回った。「大変なのは変わらないけど、『こんなチームをつくってみたい』という理想に近づいてきた」と実感している。

 「マイナー競技とメジャー競技の関係は、地方と都市の関係に似ている」。メジャー競技(都市)に優秀な人材が集まり、マイナー競技(地方)から人が減る構図が重なって映るという。「自転車競技の認知度が上がれば、優秀な人材が集まり地方も元気になる」と青写真を描く。

     ◇

 平成29(2017年)年10月、ジャパンカップ本戦でブリッツェンの雨沢毅明選手(22)=下野市出身=は3位となり、同大会でチーム初の表彰台に立った。下部組織で成長した雨沢選手の活躍は、広瀬さんの描く地域密着のチームづくりが浸透してきた証しだ。

 雨沢選手は、高校1年の時、下部組織「ブラウ・ブリッツェン」で競技を始めた。最初は「ちょっとやってみたい」という程度だったが、普段からプロ選手ら社会人と練習することは、伸び盛りの高校生には刺激的だった。ロードレースに打ち込む中、「自転車競技を栃木に広めたい」という思いも生まれた。

 平成25(2013)年に那須ブラーゼンへ入団し、平成28(16)年にはブリッツェンに加入した。昨季は、病気で離脱したエースの増田成幸選手に代わってチームを引っ張った。

 雨沢選手は将来、本場・ヨーロッパ参戦を視野に入れている。育成にこだわるチームの理念を踏まえ、「ずっと栃木で成長した自分が海外に行くことに意味がある。自分の限界を知りたい」と語る。

 自転車の普及にかける競技愛と郷土愛が、2人の活躍を支えている。【野田樹】=つづく

 ■ことば

宇都宮ブリッツェン
 平成20(2008)年に運営会社が発足し、翌年からレースに参入。現在は、国内最高峰の自転車ロードレース「Jプロツアー(JPT)」に参加し、平成24、26(12、14)年に年間総合優勝を果たした。今季はレース参入から10シーズン目を迎え、ジャパンカップやJPTでの優勝を目標に掲げている。

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