【報道】簡易的な訓練が仇に

『訓練で使ったのに…津波にのまれた拠点避難所』
読売新聞 3月24日(木)14時54分配信

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津波に襲われた岩手県釜石市の鵜住居地区防災センター=泉祥平撮影
 東日本巨大地震で壊滅的被害を受けた岩手県釜石市で、拠点避難所の「鵜住居(うのすまい)地区防災センター」が津波にのまれ、54人の遺体が見つかった。

 拠点避難所は津波がひいた後に避難者が暮らす拠点。津波浸水予想範囲の外側にあるが、より高台にある1次避難所に逃げた人たちの多くは無事だった。市は避難訓練で同センターを避難先にしており、助かった人の中には「センターに逃げればよいと思っていた」と話す人もいる。想定を超えた大津波による悲劇は、防災対策の難しさを改めて突きつけている。

 市の防災計画では、津波が予想される場合は高台などの1次避難所へ逃げ、その後に被災者が中長期的に生活する拠点避難所に移ることになっている。センター(鉄筋コンクリート造り2階建て)は拠点避難所として昨年2月に開所。海から約1・5キロ離れ、明治三陸地震(1896年)、昭和三陸地震(1933年)などを基に、県が最悪の事態を予測して策定した津波浸水予想範囲の外にあるが、市の担当者は「緊急に避難する場所としては想定していなかった」とする。

 しかし、3月11日の大津波警報発令後、市などによると約200人が一斉に駆け込んだ。津波は近くの鵜住居川を遡って浸水予想範囲を大きく超え、すし詰め状態だったセンター2階も濁流にのまれた。避難していた会社員市川紀吉さん(41)は「水が一気に天井まで上がり、何度も泥水を飲んだ」と振り返る。

 市によると、センターに逃げて生存が確認されたのは市川さんら約25人。リュックを背負ったままの男児(6)ら54人が遺体で発見された。残る100人以上については、津波に流された後、助かったか否か確認されていない。

 三陸地方では、自治体が「津波が予想される場合は高台へ逃げろ」と繰り返し啓発。山に囲まれた鵜住居地区では、市が高台の寺社など4か所を1次避難所に指定していた。市によると、高台などへ逃げた市民はほぼ全員が無事だった。

 市が昨年5月と今年3月3日に地域防災計画に基づいて行った避難訓練では、浸水予想範囲外にあるセンターを1次避難所の代わりに使った。市は「高台へ逃げるのが大変な高齢者も多く、住民側と相談して決めた」と説明する。

 センターへ逃げた別の男性生存者(72)は「2年連続で訓練すれば、そこに逃げてしまう」。センターで母親(69)の遺体が発見された男性会社員(32)は「高台へ逃げるよう携帯電話で母に伝えたのだが」とやりきれない様子をみせた。

 ただ、津波の規模が想定を超えたことに加え、時間がない中で、高齢者を連れて高台の1次避難所まで移動するのは困難だったのではないかとの指摘もある。野田武則市長は「1次避難所についての住民への周知が不十分だった。訓練でも1次避難所を使うべきだった」と悔やみ、「時間をかけて検証する」としている。
(酒井圭吾、金島弘典) 最終更新:3月24日(木)14時54分

One Reply to “【報道】簡易的な訓練が仇に”

  1. 指定された避難場所で犠牲になられた方々も多い反面、積み重ねられた防災教育と訓練により、『より高い場所』に避難先を変更しながら生き延びられた方々も多かったと聞きます。

    被災された方々に慎んでお悔やみ、お見舞い申し上げるとともに、来る東海、東南海地震に備えなければと考えています。

    実家から『高台』までは徒歩で行ける距離ではなく、渋滞が起こることは避けられないため、自宅の二階にいるしかありません。でも、それで連れていかれるなら仕方がないと思いますので、避難所(小学校、3階建ての校舎があるが、収容力は足りないので…)には行かないことにしてあります。

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