門井慶喜について

2018年3月1日に門井慶喜氏の講演会を観覧

宇都宮市教育委員会が主催、栃木県総合文化センターサブホールにて開催。
18:30開場、19時開演予定だったが、18時過ぎには来場者の列ができていたので、18:05に開場した。

紀伊国屋書店がロビーで著書販売。小説だけでなくエッセイなどもあった。
とりあえず文庫本を1冊購入。

・直木賞受賞が決まったときのこと、授賞式のこと
・宇都宮時代の思い出
・現在のこと、これからのこと
という感じで語られました。




直木賞候補が発表されたのは昨年(2017年)。年末は締切に追われていて、宇都宮へ帰省する余裕はなかった。元日は休めたが、2日には原稿催促のメールが来たという。

直木賞選考会の時間は、帝国ホテル近くの料理店で「待ち会」をしつつ待つのが作家の間で恒例という。
3度めの候補ということで、雑誌社やマスコミも多く待機しており、受賞の一報の電話直後に待機していたNHKにより発表直後の映像が撮られ、ニュースで放映された。

受賞決定の記者会見は帝国ホテルで行い、その後別の宴会が設けられた。

都内の別の場所で、高校時代の同級生数名が「待ち会」を開き、インターネット中継を見守っていたことがほんとに嬉しかった。時間的に直接会うことはできなかったが、電話をもらったとのこと。

受賞が決まった後に、選考の作家から、「これから龍角散が手放せなくなるよ」と言われたが、なんのことだかすぐには分からなかったが、翌日以降わかった(インタビュー取材が多く、喉に負担がかかる)。とりあえず、大阪のドラッグストアでトローチを購入したが、店員の勧めるまま購入したら、一番高い商品だった。




門井慶喜について

桐生市生まれ 桐生市内の病院で産声を上げた

父・政喜(マサキ 故人)も歴史好きで、慶喜の名前は、父親の喜という字+歴史上の人物ということで、慶喜と名付けられた。家には歴史の雑誌が多く、自然と歴史好きになった。

3歳のときに宇都宮市に転居したので、桐生時代のことは記憶にない。

能満寺幼稚園から城山東小(5年生まで)を経て、国本中央小学校(6年生)と国本中学校卒業

城山東小時代に近くの書道教室にかよっていた。直木賞受賞後に昔書道教室にかよっていた子ではないかと、書道教室の先生から雑誌社宛に手紙が来たので、万年筆で書いて返信したとのこと。

宇都宮東高校に進学し、片道16kmを自転車で通学。
無欠席だが、長距離を自転車通学のためパンク修理での遅刻が2回あった。

歴史を学びたいと思っていたので、学べる大学から絞っていき、同志社大学へ入学。
ゼミは平安時代をメインにする人のゼミへ。
ゼミの先生宅は、本で溢れていた。

卒業後は実家に戻り、帝京大学理工学部(宇都宮市豊郷台)で職員として勤務しつつ、小説を書き始める。

歴史を学び直したい→主要な歴史拠点が多く妻の出身地でもある大阪府寝屋川市へ移住。
奈良、京都、神戸まで電車で一時間で行ける。
寝屋川市の自宅は一戸建てだが、近くに仕事場としてアパートを借りている。




起床は4時で、4時半から執筆する。
朝型の習慣は、帝京大学勤務時から習慣づけており、いつもより10分早く起きるのを1ヶ月続け、1ヶ月後に更に10分早く起きるというように、1ヶ月ずつ朝早く起きるようにして、朝型の生活にした。

直木賞受賞直後に、記者から「これからは3時半起きですね」と言われたエピソードを紹介。

枕元に、ポットを用意して就寝し、当初は目覚めてすぐに紅茶とバナナを摂取。現在はコーヒーとチョコレートでカフェインと糖分を摂取するのが日課になっている。

大阪からの移動は新幹線で行き来する。
3/1も昼前に自宅を出た。

歴史上の人物を書くときは、現地に取材に行っている。
現在の大河ドラマの西郷隆盛を描くとしたら、鹿児島へ取材に行く。

父親以外の家族については多くは語らなかったが、帝京大学職員時代に結婚し、長男も生まれた。
報道によれば、現在は3人の息子がいる。

父親はコンセーレ内のケータリングの会社を経営していた。
妹は結婚したあとも実家で母親と同居していてニュースに映った。

羽生ショック

「老いる家 崩れる街」
野澤千絵 著

地方都市の郊外に賃貸用住宅やアパートが建てられるのが問題になった。
市街化調整区域を規制緩和した結果がこれで、それにともなって、上下水道整備や道路整備、場合によっては小学校の整備が必要なところも。
→無秩序な拡大で公共設備の維持が重荷になりはじめて、各地でコンパクトシティ政策が取られるようになった。

人口減少に歯止めをというのが規制緩和の理由だったが、蓋を開けてみれば、多少は人口増加していたが、増加と言うか市内や近隣からの転居で、市内で世帯を奪い合いしているだけだったという。

宇都宮でも、西川田エリアは、農地からアパートへ転用される事例が多い。
一方で、済生会病院や北高周辺は農地が多く、できたとしてもコンビニなどの商店やクリニック系のみという、明らかに差がある。




羽生ショックとは、市街化調整区域の建設物の規制緩和の結果、羽生市の郊外(近隣との境界とかホントに端のほう)などを主体に賃貸アパート150棟が建てられたモノ。
郊外過ぎて、借り手は多くないので、空き屋率も市全体で35%になり、あげくに大麻の保管庫に使われた事例も。
さすがに羽生市も異常事態に気づいて、この規制緩和は、終了した。

農業地域に賃貸アパートが増える要因は、相続税や固定資産税の高さ。
アパートを建てれば、土地の評価額が下がるので、税負担が多少和らぐ。
実際、それをウリ文句にして、アパートを建てさせるというもの。

建設業は、アパートが完成して引き渡した時点で売上になるので、建設業界の営業は求人も多い。




最近の賃貸アパートでは、サブリースという一定期間一括借上契約が多いが、契約中の収入は保証されるが、契約時の家賃額が保証されるわけではなく、場合によっては、家賃見直しで家賃収入が(アパート建設のための)ローンの支払額を下回る場合もある。
入居者獲得競争に勝つためにケーブルテレビ加入などの付加価値をつけて、入居者増加対策を大家がしなければならない。

または、アパートの屋根に太陽光熱熱発電のソーラパネル設置し、費用をかけてでも安定した収入を得る方法もある。