白楊ヴォルツ

昭和30年代、栃木県内のラグビーチームは「栃の葉クラブ(現・羽衣クラブ」のみで、同クラブは宇都宮高校OB主体のチームで、そこに宇都宮農業高校(以下、「宇農」)OBが加わった。
その後、宇農OBが増え続け、宇農OB単独チームを設立する動きがあり「栃の葉クラブ」から分離独立するかたちで、1967年に「白楊ラガー」が設立された。最初のチーム名は宇農グランドに3本のポプラの木があったので「白楊」とした。
1972年にチーム名を「白楊ラガー」へ変更。

1980年の栃の葉国体が転機となった。国体での栃木県代表チームの主体は白楊ラガーだった。国体へ向けて強化のため早稲田大学ラグビー部監督経験のある
白井善三郎を招いて指導を受け始めたのが国体の2,3年前。

国体当時の下野新聞見出し
準々決勝「終始、息が詰まるシーソーゲームを転回、栃木が小差で勝った」(1980年10月15日付)
準決勝「栃木は、強豪秋田のスピードのある攻撃に押され涙をのんだ」(1980年10月17日付)結果は6-31だった。




平成に入り、「白楊ラガー」から「白楊クラブ」へチーム名を改めた。

2000年代後半に「宇都宮ラグビーフットボールチーム」へ改称。
東日本2部リーグに属し、勝負にこだわり、サンダーボルト(稲妻)から命名の「ヴォルツ」とラグビーを楽しむ「ストロベリーズ」の2チーム体制とした。

SPRIDE vol.14 2017年9月号(下野新聞社 2017年8月1日発行)より

学校の方も1991年4月1日に栃木県立宇都宮白楊高等学校に改称。
理由はチームと同じくポプラに由来する(ポプラの和名から)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です